つぶやき

パンフレットの補完完了

今年の泉塩釜地区大会にいらっしゃって、資料を置いていって下さった小山賢治先生から受け取ったパンフレットのスキャンが終わりました。所々に書き込みがあったり、裏表紙に知っている名前が書いてあったりと、懐かしく思いながら作業させて頂きました。

パンフレットの表紙に200円と印刷されていた時代。パンフレットに入場整理券が挟まれているパンフレットもあり、かつては大勢のお客さんが入っていたのかなと思ったりもしました。

日本はこれからかつて経験していない少子高齢化の時代に突入して行きます。学校は統廃合され、部活動精選により、演劇部は廃部に追い込まれていきます。そんな時代に、顧問としてどう演劇と向き合って行くのか。

私は教員として採用され、仙台工業高等学校の演劇部の顧問となった時、演劇部の顧問は他に、渡辺繁先生と狩野安正先生がいました。私は3人目の演劇部顧問だったのです。県内を見渡しても、3人も顧問のいた演劇部は、恐らく仙台工業高校だけだったと思います。なぜ3人も顧問が配置されたのかと言えば、国語科の渡辺繁先生は、仙台市立高等学校教職員組合の執行委員長という事で、学校を離れることが多いため、主に大会用の脚本を書いて部活動に関わって下さっていました。もう一人の狩野安正先生は、機械科の先生でしたが、高校演劇の県の事務局を引き受けている方で、事務局の仕事で忙しく生徒の面倒を見る所が手薄になるという事で、私が3人目の顧問となったのです。言い換えれば、教育現場には演劇部に3人顧問を割けるほどゆとりがあったのです。

それが今や、副顧問の先生が配置されていたとしても、どこか別の部の副顧問と兼任だったり、別の部の正顧問の先生が副顧問としてついていたりします。もちろん副顧問の配置されない学校もあり、正顧問が演劇専門というわけでもない学校もあります。

そんな中で、演劇が(も)専門だと言える顧問はこの生徒減少局面をうまく乗り切るために知恵を出し合わなければいけないのだろうと思います。

それはさておき、演劇部の生徒数が多かった時代を含め、過去の公演履歴が虫食いですがある程度完成いたしました。ご協力いただいた先生方、ありがとうございました。

もし、虫食いとなっている部分の資料をお持ちの方いましたら、是非お借りしたいと思っていますので、引き続きよろしくお願い致します。

P.S.

背景をランダムにチェンジするように手入れしてみました。ページ遷移の時ちょっと楽しくなったと思いませんか?

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