仙台工業高校は私が採用されて初めて赴任した学校です。そして私はそこで演劇部の3人目の顧問を任されました。他の部とのかけもち無しで。つまり、他に顧問の先生(狩野安正先生、故渡辺繁先生)が既にいたのです。演劇などやったこともない新任の私がなぜ演劇部の顧問になったのか。それは置いといて、仙台工業高校演劇部の歴史を振り返ると、「河童座」というのが出てきます。その昔は人形劇をやっていたのです。自らの手で人形を作り、それを操ってお芝居を各地で披露していたそうです。そして、その傍らで演劇もやっていたという話を当時の正顧問や副顧問の先生から聞きました。
そして、昨日。ひょんな事から、その河童座で部長をやっていたという人と、酒を酌み交わしました。
あの時代はこうだった、ああだった、あんなことがあった、こんなことをした(公式ページにつき、記載不可)。とまぁ今の高校生では絶対できないであろう事をやっていたお話を伺えて、演劇部という部活動が高校に存在する意味を別な意味で再確認できた非常に有意義な時間でした。
今はもう仙台工業に演劇部は無くなってしまった・・・。
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