阿部順夫先生を偲ぶページ

    

1 阿部順夫先生を偲んで 公式追悼文
宮城の高校演劇の歴史 著・阿部順夫
阿部順夫の演劇活動の足跡 編集・管理人
資 料 集 (1) ○発声練習・観客本位の舞台つ゜くり・・基本的な努力怠るな
資 料 集 (2) ○苦労は思い出
○七年目のリーダー研修会
○合同公演のノウハウを教えてください。
資 料 集 (3) ○高校演劇に三千人の観客を
○広い視野と強い連帯を
資 料 集 (4) ○リトルルスター達の思い出とともに
○高校演劇について

 

阿部順夫先生を偲んで

 
 平成17年9月、阿部順夫先生がご他界されました。今年の宮城県高等学校演劇コンクールの合同パンフレットにも記載されている通り、先生はこの県中央大会で審査員を務められる予定でありました。先生の本県高校演劇へのこれまでの足跡をあらためて私達の心に刻み、そのご尽力に対して謹んで哀悼の意を表したいと思います。
 第43回を迎えた宮城県高校演劇コンクールを生み育てたのは、まさしく故阿部順夫先生であります。42年前には、当然現在のような演劇協議会組織そのものがありませんでした。演劇に燃える青年教師として、先行していた全国大会での演劇指導者講習会等で学習しながら、生徒諸君と共に手弁当で会場を探し、メンバーを募りながら、徐々にコンクールのために組織と形式を整えていったのであります。当初は仙台市内の数校の参加しかなく、コンクール会場も高校の体育館でした。その後、仙台市公民館の主催事業となり、会場も公民館や市民会館となりました。そして宮城県高校演劇連盟(当時)として参加数を増し、仙台市以外の高校の参加も得られるようになりました。さらに本コンクールが県教育委員会の共催事業となる等、徐々に組織拡大が図られていきました。10数年前には、これまた、阿部先生が中心となって本県にも宮城県高等学校文化連盟が発足し、演劇専門部は現在加盟50校を越える堂々たる組織に発展しております。この間ほぼ30年近くにわたり、宮城県高等学校演劇協議会の事務局長として私達を導いて下さったのが阿部順夫先生でありました。
 先生は国語教師として教鞭を執るかたわら、演劇の仲間を増やし、演劇発表の場を数多く作ることに特に腐心なされました。芝居創り自体に執念を燃やすというよりは、いわゆるプロデューサー(仕掛け人)に徹することが多かったようです。先生の誠実で丁寧な話しぶりは、ご自身が現役のキリスト教会の敬虔な牧師であることもあって、私達をいつも優しく包んで下さり、私達は偉大な教師の胸に抱かれているような気持ちになりました。
 数年前にご退職なされてからも、県内外での演劇コンクールて゜審査員を務められ、今後も変わらぬご指導ご鞭撻をいただけるものと思っておりました。
 あまりにも早い先生の突然のご逝去であります。
 私達演劇を愛する仲間・同士として、衷心より重ねて先生のご冥福をお祈り申し上げます。

平成17年11月19日
宮城県高等学校演劇協議会
宮城県高等学校文化連盟演劇専門部
      (文責 大石和彦)

これは第43回宮城県高等学校演劇コンクールの開会にあたって発行されたものです。