第3部. 劇作りのポイント・・・演出・キャスト編

四.人物の作り方 五.半立ちと舞台装置 六.立ち稽古

       四.『人物の作り方」  
                 ・間ということぱで間をとるマヌケ
                 ・しっかり受け止め、しっかり返球
                 ・ボドテキスト〈覚書)の利用
                 ・生きているひとりの人物として
                 ・話し言葉とセリフ

※「間ということばで間をとるマヌケ」

 全体を何場面かに区切り、全体の中のその場面のもつ意味や雰囲気を話し合いながら、読み合わせが進んでい
きます。

 ひとつひとつのセリフを大切にしながら相手とかけ合いをしていくと、しだいに気分も出てきて、その場の雰囲気も
出てきます。

 「セリフを大切に」という場合、「間違えないように正確に」ということはもちろんですが、裏に流れている「こころを大
切に」という意味で使う場合があります。その場合、句読点の意味や「間(ま)」や「・・・・」と書かれている意味や心
情を大切にしてほしいのです。 句読点のもつ意味を大切にしないで、句読点そのものを大切にする人は、「、」があ
るから休む。「間(ま)」と書いてあるから呼吸二回ほど体む、などどいうことになってしまいます。

 日常の会話で、「この辺で少し間をとろう」と思ってとる間というものはないはずです。会話がちょっと途切れたり無
言になったとしても、頭の中は働いているのです。相手の気特ちをおしはかったり、次ぎに話す言葉を探したり、今
話したことを考えてみたり、過去を思い出したり、何かを想像していたりというように、「間(ま)」は生きているのです。
 「間(ま)」は、外から見ていて「間〈ま)」であるだけなのです。それはちょうど、音楽の休符と似ています。休符も
音楽の一部なのです。休んでいる時間的空間があるから、逆に音が生きてくるのです。「間(ま)」を上手にとることに
よってセリフが生き生きとし、人物の心情が相手によく伝わるようになります。作者が、わざわざ「間(ま)」とか「・・・
・」と書いている、その裏の気持ちをくみとり、セリフ全体をひとつの流れのようにとらえて、「間」を上手に生かしなが
ら相手に語りかけましょう。木下順二さんの『タ鶴』にある、次のセリフを読んでみてくだざい。「・・・・・」という、つ気
持ちが哀しいほどに伝わってきませんか。「ここの点線では、何秒の間をとりますか?」などと言ったら、つうに叱られ
てしまいます。

    つう  いないの?  隠れているの?  出ておいでよ・・・・卑怯・・・・ずるい・・・・ずるいわ、あんた違・・・・ねえ・

         ・・・ねえ・・・・ええ    憎らしい ・・・(略)いえ・・・・いえいえ・・・・すみません、憎いなんて・・・・い

         え、どうぞお願い、お願いします。

※「しっかり受け止め、しっかり返球」

 相手とセリフのやりとりする中で、自分のセリフに込められている気持ちを確認しながら、ある形へと作り上げていく
わけですが、自分のセリフでないときや、自分の出番でないとき、心が休んでいることがあります。相手のセリフがあ
るから自分のセリフがあるのです。
 
 自分のセリフだけぬきとって

    A「お母さん、どうだっだ」

    A「やっぱりそうなの。で、どうするの?」

    A「私、そんなのいやよ」

 これではなんのことなのか分かりません。これだけぬきとって話し方の練習をしたところで、その場の雰囲気や流
れができるわけがありません。

 セリフは言葉です。言葉は、感情や意思の表現のひとつなのです。感情や考えや意思は、相手が表現した感情を
含む言葉に対する自分の答えがあるはずです。相手のお母さんの話をしっかり心で受け止め、それに対する自分の
考えや気持ちをのせて話してください。

 野球のキャッチボ‐ルと同じです。相手の投げてよこした球をしっかり受け止め、その後、相手が受け止めやすいよ
うにしっかり返球してください。ある俳優の話ですが、相手のセリフに対して「そういうセリフでは、次の私の言葉はで
てこない」と言ったそうです。

 心の入っていない、それらしいいいまわしの工夫は意味のないことです。相手の言葉を耳で聞くのではなく、感情
や意思の表れとして心でしっかり受け止め、それによって起きた自分の心の動きの表現としてのセリフとして話して
ください。これが、セリフのやりとりの際の大切な心構えです。しっかり受けとめて返してくれる人が相手をしてくれる
と、案外うまくいくもんです。お互いがそうなるように、心のやりとりをしっかりつかんで読み合わせをしよう。

※「ボドテキスト(覚書)の利用」

 読み合わせが進んでいくと、セリフに感情が入ってきます。しかし、表現の仕方は、解釈によってずいぷんと違って
きます。例えば、次のようなセリフでも。子供の父親に対する気持ちが違えば、表現も違ったものになると思うのです

   父親「叔父さんのところへ行って、これを返してきなさい。そして、よく謝るんだぞ」

   子供「嫌だ」

 日頃から、父親を恐がっている子供であれば、相手の表情をうかがいながら弱々くし「嫌だ」と言うかもしれません
誰に対しても、いつも堂々と自分の考えを主張する子供であれぱ、はっきり「嫌だ」と言うと思います。子供が感情的
になっているのであれぱ、父親の言葉が言い終わらないうちに、「嫌だ」とかぶせて口から出るかもしれません。

 その時の状況についてみんなで話し合い、こうだと思われるものがみつかったなら、それを脚本の余白へ覚書とし
て子供の役を演ずるキャストはメモしておくのです。この覚書のことをポドテキストといいます。劇全体の流れに矛盾
することのないよう、また、相手との関係に一貫性があるよう、一人の生きた姿としてどんどん脚本に記入し、役の人
物を作っていくのです。

※「生きているひとりの人物として」

 読み合わせが進んでいくと、自分が演じる役柄についてのイメージが浮かんできます。人物の性格や友人関係を
含めて自分が演じる人物をそろそろはっきりさせたほうがいいでしょう。演出は、頃合いをみてキャストに「つけ帳」を
書いてくるように連絡します。

 「つけ帳」とは、自分が演じる人物について、あらゆる角度から検討し、脚本にないことも含めて、生きているひと
りの人物としてはっきりさせる作業なのです。その劇のテーマを表現するためにふさわしい人物を作ってみよう。
「私の海は黄金色」のつけ帳から、礼子と節子のものを紹介します。

<礼子>

○家族構成‐‐‐父、母、姉二人、私の五人家族

○節子に対して---−高ニのクラスがえで節子と出合う。クラスの人たちをほぽ把握できた五月上旬頃から節子を
からかいはじめた。軽い気持ちからの、だだなんとなくといういじめっ子。いじめて反応を楽しんでいる。

○芳恵に対して----高校に入字して、一二年と同じクうス。芳恵はいつも味方で、仲のいい友達と思っている。芳
恵は私を裏切らない。

○クラスの人達に対して----かなりみさげた態度で応対している。「うるさくて、バカで騷ぐしか能のない人達」と思
っている。「本当、バカ見たい! 誰も私にはかなわない」。

○部活動----陸上部。スプリンターで、割に活躍している。中学一年のときバレー部に入っていたが、生意気な態
度で部内で問題になり、退部。以後、団体での行動は苦手。陸上部に入ったのも、個人プレ‐で自分を発揮したか
ったから。

○先生に対して----先生の前では猫かぷり。お行儀がいい。あまり沢田先生のことは好いていないが、これも平常
点のため。かなり救いようのない性格。

○クうスの中で‐‐‐委員会活動はいっさいしない。他人のめんどうはみたくない性格。成績は中の上。自分のことだ
けはしっかりやる。友違づきあいは限定されていて、広くない。

<節子>

○性格‐‐‐おとなしいというか、思ったことをはっきり口に出せない。口数が少なくて真面目なので、他人から見ると
面白みのない性格。いじめられるのもそのせいと思われる。

○家庭‐‐‐表面的にはごく普通の家庭。ただ、両親は忙しくて、節子の話しをあまり聞いてやれな。そのため、自分
の娘がいじめられていることにも気づいてくれない。家族構成は、父、母、節子の三人家族。

○礼子に対して‐‐‐‐もうこれ以上、自分にかまってほしくない。ほっておいてほしいとも思う。しかし、無視されたの
ではもっとこわいし・・・つっぱねるほど強くもないし、かといって学校を休むことで問題を解決しても、それでは自分
が負けたことになると思っている。

○優子に対して‐‐‐‐家では話しを聞いてくれるのに、学校に行くと無視する立場になるので、琳しいと思う反面、仕
方がないと妙なところで納得している。自分に係わって優子まで仲間外れにさせるのは悪いと思っている。

○劇中劇の道子に対して‐‐‐一言で言って「節子の理想、憧れ」。目が見えないというハンディがあるのに、どうして
あんなに明るくいられるのかと不思議に恩うところもある。            (以下略)

 さあlどうでしだか。「読み合わせ」を深めていくと、自分の役の人物がこのようにはっきりしてきます。うまくやろう
とするのではなく、劇の中の世界の生きたひとりの人物として理解することで、自分が演じようとしている姿が見え
てくるのです。

 お婆さんの役だから、「腰を曲げて、しわがれ声にする」というような、類型的な役作りはしないことです。現実に
は、八十才でも元気にシャキッとした姿勢で歩いている人を見かけます。外形を作るのではなく、あるべき姿を理
解することで、形が決まってくるのです。

※「話し言葉とセリフ」

 話し言葉にもいろいろな種類があるように思います。祝辞や国会の質問のような文章を「読む」かたちのもの(話
し言葉に入れていいのかどうか迷いますが)。ラジオやテレビのニュースのような「伝える」もの。昔話のような「語
り」や普段話しているような「会話」など思い浮かぴます。

 セリフは話し言葉ですが、普段の話し方そのままを舞台にのせたのでは、聞き取りにくかったり、なにを言ってい
るのかわか会話としてらないところがでてきます。だからといって、弁論大会のような演説口調では、会話になりま
せん。聞きやすいことばで、しかも感じるような話し方でセリフを言うのです。

 初めてキャストになったとき、「セリフが硬い」と言われても、どうしたらよいのかわからない事があります。セリフを
登場人物の生きた会話の言葉として話すためには、「読む」、「語る」、「伝える」、「話す」という違いを意識すること
から始めよう。そして、力を抜いた普段の喋りの雰囲気を生かしながら、セリフを話すことへと高めていくようにしよう
このような練習は、できれぱ基礎練習の時に自分のものにしておくことを進めます。

 セリフは、昔段の会話そのものでは書かれていませ。観客が聞いていて分かるように、ある程度整理されて書か
れています。計算されていると言ってもいいかもしれません。そのように意識して書かれたセリフを「舞台語」という
ことがあります。例えば、東北地方を舞台としたテレビドラマを全国放送する場合、九州の人にも理解してもらえる
ように、方言をアレンジします。東北の人に言わせると東北弁ではないと言うかもしれませんが、「舞台語化」する
ことでわかってもらうことができるのです。

 日常使っている話し言葉とセリプの違いを理解することで、自分の話すセリフが、登場人物の生きた会話の言葉
となるよう高めていってください。

 

     五. 『半立ちと舞台装置』
             装置で決まる人の動き
             舞台の位置がものをいう
             お互いの位置関係と向き
             舞台のバランス
             目線で決まる観客の視線

※装置で決まる人の動き

 読み合わせが終わりに近づくと、いよいよ「半立ち(荒立ちともいう)」の準備です。半立ちの目的は「各場面での
それぞれのキャストの位置を決め、動きのコ‐スを決める」ことです。そのためには、装置の原案が決まっていなけ
れば困ります。そこで、読み合わせをしながら、キャストが人物を作っていくのと並行して、どのような装置にするの
か半立ちに入る前に考えましょう。

 また、装置によって、全体の人の動きが変わってきます。例えば、ある部屋の中を舞台とした劇では、部屋の入
口を、図Aとした場合には横の動きが中心になるのに比べて、図Bの時は出入りに変化が出てきます。このように
装置によって劇全体の人の流れが制限されるので、いろいろな舞台を沢山見て研究し、装置の原案を考えるよう
にしよう。

       図A( 注・表示出来ませんが、出入り口が上下両側にある場合です。)

       図B(注・表示出来ませんが、出入り口が上下両側のほかに舞台奥・中央にある場合です。)

 『私の海は黄金色』の舞台は、リアルなスタイルでやることにした。教室という設定なので、変化のある装置には
なりませんでしたが、壁や入口のドアのない変形教室を考えれば、それなりにおもしろい動きになったのかもしれ
ません。『私の海は黄金色』では、教室が舞台になります。黒板は、舞台の上手下手どちらにするのか。正面とい
うことも考えられます。そして教室に置く生徒用の机は何個で、何列にするのか。そのようなことを、読み合わせが
終わる前に決めておく必要があります。みんなの意見を聞きながら、演出や舞台監督と相談して、装置係が舞台
装置図にまとめます。当時の『私の海は黄金色』では、下手に黒板を置き、正面奥が壁。壁の左石(上手・下手)
に出入口の戸を置き、生徒用の机は三列にすることにしました。

 舞台装置図が出来上がり、読み合わせもできたところで、いよいよ「半立ち」に入ります。

 最初の場面では、節子の位置がポイントになります。「節子」対「いじめグル‐プ」なので、最初の印象を強烈にす
るためには、グループをまとめた形にして節子にあたるようにしたいので、節子が舞台中央では具合悪いことにな
ります。また、開幕五分後にクラスメートが中心になる場面がありますが、そのとき節子に視線がいかないようにし
たい。そのようなことから、節子の位置を教室の後方(上手)に配置することにしました。

 節子の位置が決まれぱ、「いじめグル‐プ」の位置も決まります。舞台中央付近に座らせることにしました。その
他のクラスメ‐トは舞台奥の机に三ヽ四人ずつの配置にします。

※「舞台の位置がものをいう」

 このように配置したところで、脚本片手にセリフを言いながら自分の位置を作っていきます。この時は、セリフの
感情などは一切関係無しです。どういう配置にすれぱ、観客の視線がどこにいくか。劇のその瞬間はどこを見て
ほしいのか。見てほしい人物が舞台の奥にいたのでは観客の目がとどきません。自然に観客の目が、見てほし
いところに集まるように、時間の流れにしたがった、人の動きを作っていきます。

 また、場所を移動する場合、どこを通ってどこに行くのか、立っているのか座っているのか、体の方向はどっちを
向くのか。そのとき、周囲の人はどのような動きをするのか。全体のパランスを考えながら、その場面のメッセー
ジがしっかり表現できる配置や動きを考えます。

 演劇の舞台は、映画やテレビのように、その時見てほしい人物をアッブするわけにはいきません。何人も登場し
ている時、広い舞台の全体を見せながらもある人物に視線を集めなけれぱならないのです。

 観客は、まずことぱを聞こうとするので、セリフを話している人物に目がいきます。しかし、その人物が舞台の奥
に立っていたり、集団の中のひとりという時、心理的に受け止めにくい状態になります。劇全体の中心的人物とは
別に、ある場面での(ある瞬間の)中心的人物というものがあるはずです。その人物に観客の視線が、自然に集ま
るような人物配置を考えてください。

 このようにして、開幕から最後の場面まで作っていきますが、半立ちのポィントは、「その瞬間は観客にどう見え
るか、それが最善の配置か」ということではないでしょうか。場合によっては、装置図をもう一度考え直さなければ
ならないこともあります。この半立ちで装置が決定するのです。

※「お互いの位置関係と向き」

 ここで、お互いの位置関係や身体の向きについて考えてみます。四人の人物が舞台に立っているような場合、
三対一に別れている状態が続けぱ、観客には、なんとなく三人が仲艮しで、一人が除け者にされているような感
じを受けます。ざらに、離れている一人が三人に背を向けていると、ますますその感じが強くなります。

 また、四人が仲良しの場合、つねにくっついているのも変ですし、同じ距離で立ったままというのも不自然です。
四羽の雀がチュンチュンおしやぺりしている時のように、位置を変えたり、少し離れてまた仲間の中に戻るという
ことを作ることによって、変化のある見やすい舞台になります。観客にとっては、実際の距離が近くて見やすい人
物が、心理的距離が近く感じられます。つまり、舞台中央手前で、観客に向かって話している状態が、観客にとっ
ては一番身近に感じられるわけですが、実際の舞台では、そのような演説をするような向きでセリフを言うことはあ
りません。舞台上の相手に対して話すことぱが不自然にならないように、しかも、観客にしっかり伝えるための位
置や方向を工夫して下さい。人物Aが、ある長いセリフを人物Bに話す場合、同じ向きで長々と話していたのでは
変化が感じられません。相手との距離や目線に変化をつけることで長いセリフにも動きで味をつけてください。

    A「(Bに向かって)君は、わたしにダメダと言ったけど……以前、確かこんなことがあったよな。(雰囲気が変

    わったところで、Bから視線を外して背を同け、Bから距離をとるように、歩きながら話す)・・・・・・・。(Bの方

    に向きなおり) しかし、それはもはや……i(Bに近づきながら)・・・・・

 また、ふたりの人物の強弱を表すとき、ひとりが椅子に座ってうなだれ、もうひとりが立って見下ろしていれぱ強
弱が感じられます。ことばだけで強弱を理解してもらうのではなく、視覚的にも感じてもらえるよう考えてください。

 しかし、「動き」を文章で表現するのは難しいですね。動きの基礎練習のとき、いろいろな場面を想定しながら工
夫してやってみたり、劇を沢山見て、研究してください。

※「舞台のバランス」

 私は、「その瞬間、その瞬間が絵のようであってほしい」と思っています。絵の額縁のように、舞合にも額縁(プ
ロセニアム)があります。そのなかに装置が置かれ、照明で色がつけられています。その絵の中に立っている数
人の人物が、絵の中の世界全体に自然にバランスよく配置していると、それだけでハッとします。奥行きや高さの
ある舞台は、動きにも変化が出てきて、幅の広い深い表現ができるのです。

 また、演劇では「バランス感覚」がとても大事なことです。声の強さのバランス、動きのバランス、人物配置のパ
ランス、その他、装置・照明・音響効果についてもバランス感覚が大事になってきます。

 声の強さや動きについて、『私の海は黄金色』の開幕の場面で考えてみると、最初の節子の声が流れた後、
節子に対する礼子達のからみがあります。その時、それ以外のクラスメ‐トは数人ずつグル‐プを作ってなにか話
をしています。その話し声が強すぎては、かんじんの礼子達のセリフの邪魔になります。そうかといって、声が全
然簡こえなくても変です。動きについても、あまり動き過ぎると観客の視線がそちらに取られてしまって、目障り
になってしまいます。まったく動かないのもやはり変です。

 観客から見て自然な雰囲気に見え、しかも礼子達の動きに目をとられながら、節子の気持ちが痛いほど感じら
れるようにしなければならないのです。

 集団演技でもバランスが重要になります。数人の人が舞台に登場しているような場合、全員が同じような距離
でぱらぱらに立っていると、観客の目はどこを見たらよいのかわからなくなってしまいます。そうかといって、団子
状態では人物の個が消えてしまいます。

 また、「アンバランスのバランス」ということを耳にすることもあります。左右対象の安定した装置や、登場人物が
等間隔で舞台に並んで立っている状態は、バランスがとれすぎていておもしろくないというのです。花をつけなが
ら全体としてバランスがとれているように、装置や人物配置を考えてください。生け花を見ていると、そのことがよ
く感じられますね。高低や横の広がりや左右の力関係。それに、配色や花の種類や形の違いをうまく配置して、
全体としてまとまっていることを感じると、ハッとすることがあります。

※「目線で決まる観客の視線」

 私は、奇術を趣味としてやっていますが、奇術では視線が重要な演枝のひとつとなっています。舞台で演じなが
ら右手を前に伸ぱし、その手を私が見ると、観客も私の右手を見てくれます。次に左手を伸ぱしながらそちらの方
を見ると、観客も左手を見てくれます。それが観客の心理なのです。舞台上の数人が、「アッ」と声をあげて一斉
に舞台の床のある場所を見ると、観客もそこを見て、なにがあるのか捜そうとします。

 そういう意味で、登場している一人ひとりの視線が大変重要になるのです。今その瞬間、観客の視線をどこに集
めたいのか、そのために、自分はどこでなにをしながらどこを見ていれぱいいのか、半立ちの時に考えよう。演出は
観客になった気持ちで練習を見ながら、メッセージの伝わる舞台を作ってください。

 クラスメートが沢山出てくるような、集団演技を必要とするような劇の場合、大勢のうちのひとりだからといって手
抜きはできません。全員が、いつも一斉に目線をそろえると不自然です。しかし、いつもバラバラでもまとまりがな
くなってしまいます。その場、その時の生きているひとりの人物として、「こうだろう」というものを作らなければなら
ないわけです。相手となにを話しているのか。どのような反応をしているのか。しかも、舞台全体は観客からどう見
えているか。それらをよく考えて演出してください。

 アドリブにしても、脚本にないからといって適当で良いというわけにはいきません。できれば、喋る言葉をセリフと
して作って、しっかりしたものにする必要があります。

 集団演技は、難しいです。難しいからこそ、うまくできたときは生きた舞台になります。

      六. 『 立 ち 稽 古 』
                  立つと見えてくる新しい世界
                  動きは作ってできるものではない
                  叫んだからといって迫力が出るわけではない
                  泣きだいときには泣くな
                  セリフは暗記するから忘れる
                  つもり練習から抜け出して

※「立つと見えてくる新しい世界」

 半立ちが大体できたなら、いよいよ「立ち稽古」に入ります。これまでイメージしてきたことが、動きをともなった
人物として動き出すのです。

 ここでも、「演出が演技指導をする」とか「キャストは自分の役柄は自分で考える」というように、責任加重になる
と不安が出てくることになります。演劇はみんなで楽しく作りましょう。

 ある高校の劇作りでは、みんなに「お婆さんの歩き方について考えてきて下さい」とか「暗転のとき流す音楽を
持ってきて下さい」というような宿題をいつも出すそうです。次の日、考えてきた歩き方を紹介して、劇のイメージ
に合うものを採用するそうです。もちろん、ある場面全体の作り方についてもみんなでアイデアをどんどん出し合
い、「このほうが見やすくなる」とか「こうすれぱ面白い」というようにして作るそうです。

 さあ、いよいよ「立ち稽古」になりました。最初は脚本片手にやってみます。歩いたり、振り向いたり、椅子に座
ったりすると、読み合わせの時とはまだ違った感じになります。また、相手との距離があると、セリフのかけかた
も当然違ってきます。それまではなかった、微妙な「問」も生まれてきます。場合によっては、自然にみえるように
アドリブも入れなくてはなりません。このように、立ち稽古になると、今までとは別の新しい世界が見えてきます。

 『私の海は黄金色』の開暮の場面で、礼子達のグル‐プと節子についてはセリフがあるのである程度わかるの
すでが、それ以外のクラスメ‐トの動きをどうするか話し合いました。また、一人ひとり「いじめ」についてどのよう
に反応するかまず決めたのです。「まだやっている」という程度の無関心の人。心を痛めながらもなんにも言えな
い人。その場から逃げ出したいと思っている人。そのクラスの中における役柄から、自分はどう思っているか話し
あったうえで、どんなおしやべりをしているかアドリブを考えたのです。そして、ペンケ‐スをわざと落としたときやノ
ートを破いたときなどの、個々の反応を作ったのです。

 登場人物が、その場で生きた姿として存在するように、一人ひとり納得できるまで考えながら、しかも全体の
バランスがとれるように演出します。

※「動きは作ってできるものではない」

 セリフの表情は出てきたけれども、「手をどのように使ったらいいのかわからない」という声を聞くことがあります。
ある程度わかってくると、手だけではなく身体全体を目然に使えるようになるのですが、最初はその感覚がなか
なかつかめないようです。セリフにも、「読む」から「伝える」、そして、「語る」から「話す」という段階があるように、
動きも分類してるといろいろな動きがあります。

    ○場所を移動する動き・・・・・   歩く、走る、近づく、後退りする

    ○別な状況を作る動き・・・・・   立つ、座る、振り同、背を向ける

    ○感情表現の動き・・・・・・・・   投げる、叩く、ハンケチを握り締める

    ○目的達成のための動き・・・   服を着る、探す、物をしまう、書く

    ○無意識の動き・・・・・・・・・・   メガネを上げる、自分の髪に触れる、顎を撫でる、いろいろなクセ

 分類の仕方によってはまだまだ考えられますが、「考えるから腕を組む」とか「『いいえ』と言う時首を横に振る」
というような、類型的な表現は不自然です。そのときの心理状況によって、セリフに伴う動きは様々です。

 例えば、「ねえ、お願い」というセリフについての動きの場合、私は練習を中断して、生徒にいろいろな表現を
即興的にやってもらうことがあります。そして、誰がだれにどんなことをお願いしているのか状況を説明してもらう
のです。ひとりが手を合わせながら「ねえ、お願い」と表現すると、次の人は同じ表現ができないことにするので
す。相手の腕を掴んで表現したり、なかには椅子に反りかえって横柄な態度で表現する生徒もでてきます。

 このようなことを、基礎練習の中で経験していると、案外沢山表現できることがわかります。そして、その劇の
その場にあった心の表現としての動きが素直に出てくるようになります。

 また、いろいろな状況を観察していると、参考になることが沢山あります。普段のなにげない会話というものは、
なにかをしながら話している場合が多いのです。例えば、来客があったとすると、一通りの挨拶の後、お茶を出す
準備をしながらの会話になると思いますし、教室で雑誌を読んでいた時に話しかけられたのであれば、その雑誌
を手に持っていじりながら話をすることも考えられます。このように、動作は「どのような動きをするか」ということよ
りも、「その心理状況からは、どんな動きが出てくるか」ということを考えながら、「自然に使える小道具があれば
それをうまく利用する」ことで、動きの幅を広げる工夫をすることではないでしょうか。

※「叫んだからといって迫力が出るわけではない」
 「泣きたいときには泣くな」


 人物の心の動きや感情がわかってくると、「おもいいれ」が強くなり、ついつい感情表現がオ‐バーになることが
あります。しかし、演じる自分が咸情豊かに表現したからといって、見ている観客が同じ心境になってくれるとは
限りません。相手を脅すような場面のとき、大声でわめきたてるより、低い押さえた声のほうが恐く感じることが
あるのです。ですから、迫力を出そうとして叫んでも、観客にとっては、うるさいだけの不快感になることだってあ
るのです。

 戦争の時、動物園の動物たちを殺すよう軍から命令が出され、次々に毒殺されていったという実話を元に作ら
れた「象の死」という劇があります。利口な象は、毒の入った食ぺ物を食ぺないため餓死寸前になり、飼育係が
近づくと、逆立ちの芸をして餌をもらおうとするという話の場面があります。その劇の練習を見たときのことですが
「逆立ちをした象が、力尽きて倒れて死んでしまった」と電話で報告をする女性の飼育係が、泣きながら電話して
いたのです。本人にとっては、とても悔しい悲しいことなのでそのような演技をしたのでしょうが、見ているこちら
側には、その女性が悔しくて悲しいということはわかるのですが、悲しい気持ちが起きないのです。

 そこで私は、「状況が電話の相手にしっかり伝わるように、泣きたい気持ちを我慢して、話してごらん」といいま
した。象が逆立ちをして餌をねだり、力尽きて崩れ落ちた状況が観客の頭の中に浮ぶと、その悲しみをこらえて
いる飼育係の心を感じることができ、二倍にも三倍にもおおきく膨らんで観客の心を揺さぶるのです。このように、
ある程度気持ちが入るようになったなら、演出ぱ「それが観客にはどう見えるのか」という視点でながめた劇作り
をしてください。



※「セリフは暗記するから忘れる」

 立ち稽古が進み、ある場面を何度も繰り返して練習すると、相手の感情ゃ自分の気持ちがわかり、生きたセリ
フに近づいていきます。その時の心の交流を大事にしようすれぱ、視線も相手を見ながらセリフを言うことになり
ます。つまり脚本から視線が自然に離れてくるのです。こういう状況になると、暗記をしなくてもセリフがはいっ
てきます。

 セリフを目分のものにする(脚本を見なくてもセリフが出てくるようになる)ポイントは、「内容を無視した丸暗記
をしない」ということです。相手との感情の交流を理解することなく丸暗記するから、コロンダ拍子に忘れたり、セ
リフをとぱしたりすることになるのです。また、相手のセリフを食ってしまう(相手が言い終わらないうちに自分の
セリフを言う)のも、丸暗記したときが多いのです。

 「相手のセリフをよく聞いてその感情をしっかり受け止め、それに対する自分の気持ちを確認して、セリフに乗
せて相手に返す」、それが身につくまで何度も練習しよう。

 大体の形ができてきた頃合いをみて、演出は「明日は、○○場面の脚本を離します」と宣言します。それまで
心の動きを感じながら練習をしていれぱ慌てることはありません。相手の言葉を心でしっかり受け止めると、次
の自分の言葉が出てくるものです。そうはいっても、ブロンプターをつけて、言葉が出てこないときは入れてやり
ましょう。

 最初は場面を小さく区切って、何度も繰り返してやります(「小がえし」という)。小さな場面がいくつかできたな
ら、今度はそれを通して練習し、流れを作りながら形を整えていきます。

※「つもり練習から抜け出して」

 この頃になると、舞台で使う小道具が欲しくなってきます。手ぬぐい一本でも、「持ったつもり」よりも実際に持っ
てみることで、その感じが掴めます。実際の舞台で使うそのものでなくても、代わりのものでもいいから、できる
だけ使うようにします。また、和服を着るような場合も、歩き方や座り方をしっかり教わって、代わりの着物でいい
ので早目に使うようにしよう

 人の出入りや声をかけるタイミングができてきたなら、読み合わせの時のように、気持ちを入れてやる日を作り
ます。もう一度脚本をじっくり読み直して、心理状態を確認してから「場面Aいきます、気持ちを作ってください」と
言ってスタートします。感情のやりとりがうまく出てきたでしょうか。最初は、テンポはあまり考えずに自由に感情
を出させていいと思います。

 最後の場面まで全部できた後、サラッとやったほうがいいところやたたみかけたほうがいい場面を考えた、各
場面のテンポ作りをする演出に入ります。このように、「立ち稽古」といっても練習内容はその日によって違いま
す。その日その日の目的をはっきりさせて練習してください。

 演出は、発表までの日程を考えながら練習を進めなくてはならないのですが、「あまり同し場面にこだわると
後のほうが気になるし、かといって納得できないまま次の場面に進みたくない」という心理状態になります。その
時は、粘土細工のことを思い出して、全体の練習計画を練り直してみてください。

 練習を繰り返すことによって、劇という形ができていくわけですが、劇を作るということは「形を作る」作業をしな
がら「心を作っていく」作業でもあるのです。よりよい形でないと心がなかなか入りません。また、心が見えてく
ると形が決ってきます。

                               「劇作りのポイント・・・演出・キャスト編」 完
   

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