私 の 高 校 演 劇  その@ 
塩竃女子高定時制時代

  

はじまりは、こんな風に

  二十九歳のとき、塩釜女子高の定時制に赴任した。文芸部の顧問ということで、最初の部の集まりで、いとも気楽に
 「何をやりたいの ? 」
とたずねた僕は、即座に返ってきた答えに驚いた。
 「演劇をやりたいんです。」
演劇なんてあまり見たことなかった。そういえば、小学生か中学生のとき、「泥かぶら」というのを見たことがある。えらく感動したことだけは覚えていた。そういえば高校生のときに、英語劇で「大きな石の顔」を無理矢理脚本化して演出やったことがある。
文化祭だった。体育館の舞台でやった。大きな石の顔は、ダンボールででっかく作った記憶がある。恐れを知らない頃だ。また、大学祭で、文芸部のだしものとして、先輩の書いた創作劇をやった。キャストで出たが、舞台に出た瞬間、頭が真っ白になって、わけわかんないまま終わってしまった。
 演劇に関する経験はこれだけで、深いものは何もない。
 だから、僕は頭をかかえてしまった。
 「何で演劇なんだ ? 」
僕の問いに対して、彼女たちはこんな説明をしてくれた。
 一年前、国語教師として、大学出たばかりの講師がきた。ぼさぼさ頭なので、キタロウというニックネイムがついた。彼は一年の後半、つまり半年間の国語の時間を、ひたすら「夕鶴」の芝居作りに当てたのだという。(そういえば教科書に脚本が載っていた良き時代があったなあ。ああいう素晴らしいものを、平気で削除するよう提言する教育学者ってなんだろう。)彼は、脚本全体を三つに分け、キャストを三チーム作り、リレー式の公演を、最後に教室に舞台を作って、他学年全員を観客に招いて、やったという。
 「衣装はどうした ? 」
 「作りましたよ。あたしたち、手で縫ったんだから。」
私はその話を聞いて唖然としてしまった。なんと恐れを知らない若者がいたものだ。そしてそれを支えてやらせてしまったらしい教師集団 !! 私の前にいた生徒たちは、そのときキャストになれなかった生徒たちだった。自分も舞台に立ちたい。その思いで彼女たちは、一番可能性のある文芸部に、語り合って、入ってきたのだ。
 これでは、わたしに選択の余地などないではないか。
 かくて私は、ひたすら生徒といっしょに演劇に取り組むことになってしまった。秋の公演を目標に設定して、誰もわかっていない発声法、演出法、演技の仕方、舞台装置はどうすんの? って感じで、授業が終わった夜九時からの練習なのだ。結局五年間、私は生徒たちと演劇に取り組み続けた。
 

 

設立メンバー

 

宮城県塩竃女子高等学校定時制課程
文芸部による第一回演劇公演   

「 う そ の 皮 」

日 時 昭和48年11月9日午後6時
会 場 塩竃市公民館

パンフ紹介(手書きでした)

『 あ い さ つ 』

 新しくできたばかりの文芸部。初年度は演劇をやってみようということになり、今まで取り組んできました。なにしろ未経験者ばかり、しかも週一回しか練習できず、貴重な休みを演劇練習にあてても週二回だけという決定的な障害さえありました。未熟な演劇ではありますが、こんなにも苦しいハンデイを背負いながらも、とにかくも続けてきたということに最大の価値を見出している私どもです。そしてまた演劇というものの難しさ、おもしろさを再認識致しました。こうした経験が来年度への頑健な礎石になればと願っている次第です。
 青春の一時期、こんなこともあったという思い出として、今日の公演を含め、今までの全てが永久に私どもの心に残ることでしょう。
『 解 説 』

 一人暮らしの老婆がいた。彼女はこの世を去るにあたって夢のような遺言を残した。欲に目のくらんだ3人の女が、老婆の死後七日目、大金を目当てにやって来て、ばったり顔を合わせる・・・・そして一人の少女の無邪気なうそが真実を明らかにすることとなる。
 これは「最後のうそ」という、青森県の民話をヒントにして書かれたものである。世の中にはずいぶんうそが多い。そのうそにいためつけられ、そのため自分もうそで武装したこの老婆のような人間でも、ほんの一っときであったにせよ青春の思い出は美しいに違いない。

キャスト

スタッフ

おたか M . OOTOMO ナレーター・効果 K .UTIBABA
おとら M..KUMASIRO 大道具・小道具 H .TAGUTI
おくま K.TAKAHASI S .SINAGAWA
おしか S.TUDA 照明 H .KUROSU
おさい M .KASIMA T .MAEHARA
おひょう E .KIKUTI 演出 K .KOYAMA
老婆 E .SUMIKA    

私30

宮城県塩竃女子高等学校定時制課程
         演 劇 部  第 2 回 公 演

「 赤 い 雪 」

日 時 昭和49年11月8日午後6時30分」
会 場 塩竃市公民館

パ ン フ 紹 介

『 あ い さ つ 』

 昨年、文芸部の活動として演劇を発表して以来、演劇に魅せられて、今年から演劇部として再発足することになりました。
 週一回の休みに何もかもやらまければならない私どもとしては、貴重な休みを全部練習に当てるなどということにはかなりの無理がありました。しかし、そうするしかないのです。こうした意気込みのせいか、この半年間の活動の水準においてはほんの一歩だけではありますが、前進することができたと思います。デイスカッシオンの場を多く持てたということも一つの大きな収穫でした。
 私どものように経験の浅い者にとって、今回の脚本はかなり演じにくいものでしたが、身近な問題を含むものとして、思い切って取り組んだのです。未解決な点があまりにも多く、正直言って自信はないのです。欠点がいっぱいあります。それでも恥ずかしながら精いっぱいやったということだけは言えそうに思います。
『 解 説 』

 今から20年ほど前、とある漁師の家、難船で父を失くしたたみ子の家では、母が市場で力仕事をすることによって三人の子供ともども何とか日を過ごしている。向学心に燃える長女のたみ子は、定時制に通える職場を探して毎日歩きまわっている。そんなたみ子にも強いあこがれがあり、迷いもある。彼女のそうした二つの心が赤い雪の妖精、白い雪の妖精、となって現われ、お互いに彼女を自分の方へ引き込もうとする。どうしたらよいかわからなくなって頭をかかえてしまうたみ子・・・・・生きるということはどういうことなのだろうか、幸福とは何だろうか。

キャスト

スタッフ

たみ子 J.MIURA ナレーター M..AWANO
その母 Y.TUDA 効果 H.KUROSU
赤い雪 S.TUDA 照明 T.MAEHARA
赤い雪 T.HISAMITU Y.SATOU
赤い雪 K.SUGAWARA 演出 K.KOYAMA
白い雪 E.SUMIKA    
白い雪 Y.ASANO    

私31歳

宮城県塩竃女子高等学校定時制課程
         演 劇 部  第 3 回 公 演

「 静 か な る 朝 」
            作 ・ 原  博

日 時 昭和50年11月22日(土)」
会 場 塩竃市公民館

パ ン フ 紹 介

『 序 の 文 』

 かつて私は「風化の序章」という言葉を使ったことがある。それから何年経ったろう。今私は風化のまっただ中にいる。風化の中にいるという状況の認識さえ風化しつつある。時は経っていく。何もせずにいてさえ、時は風化そのもののように過ぎていく。
 広島・長崎は人々の中に一つのことば、一つのイメージとして定着している。のみならず、それは既に風化しつつある。
 五人の若い女性がいた。否、六人と言うべきか。彼女たちは明るく朗らかな生の途中に突然断ち切られた。青春と命と時間を。その瞬間から、永遠に彼女たちは風化を免れることになった。風化は私たちにあり、彼女たちにはないのだ。
 わが演劇部も創設して三年になる。風化はここにも徐々に浸透してきている。本日の公演にそれがはっきりした姿を見せるならば、私たちは初めからやり直さねばなるまい。
 おとなの中で風化しているものも、若者の中では新しく生命を得たものとして生き生きとよみがえる。それだからこそ、若者は希望の象徴である。しかし、同時に風化の状況をもっとも集中的に体現するのも若者なのである。

キャスト

スタッフ

マサ子 T.HISAMITU ナレーター J.MIURA
ヒロ子 K.SUGAWARA 効果 SAITOY・MIURA
シマ子 S.ENDOU メーキャップ M.KUMASIRO
ナガ子 T.OGATA                              照明

 

 

 

M.KUMASIRO
サキ子 M.AWANO K.YOSIDA
E.SATOU T.SIMAMURA
T.SAITOU H.SATOU

部長  J.MIURA  (舞台監督)

副部長  K.SUGAWARA (演出)

私32歳

宮城県塩竃女子高等学校定時制課程
             塩 女 定 祭
         演 劇 部  第 4 回 公 演

「 し あ わ せ 」
                   作・ 田中 わこ 

日 時 昭和51年11月23日AM10:00  PM15:45
会 場 塩竃市公民館

パ ン フ 紹 介

 しあわせって・・なんでしょうか。ふしあわせだと思っていることが、ほんとうはしあわせなのかもしれませんよ。いっしょに考えてみたい ! これはそういう劇なのです。

キャスト

スタッフ

加代 K .SUGAWARA 照明 T .SIMAMURA
涼子 M .KUMASIRO H .SATO
のり子 S .ENDOU    
夫人 M .YAMAZAKI    
ゆき M .AWANO    
女学生A E .SATO    
女学生B T .HISAMITU

 

 

私33歳

宮城県塩竃女子高等学校定時制課程
        演 劇 部  第 5 回 公 演

「 う そ の 皮 」

日 時 昭和52年11月」
会 場 塩竃市公民館

パ ン フ 紹 介

 演劇発表も五回目を迎えました。五周年を記念して、第一回公演の「うその皮」を再度取り上げました。 

キャスト

スタッフ

おくま M .AWANO 舞台監督 M .KUMASIRO
おとら S .SASAKI ナレーター E .SUZUKI
おたか M .SUGAWARA 照明 H .SATO
老婆 M .YAMAZAKI T .TAKAHASI
おしか S .TIBA 作曲 k .KOYAMA
おさい M .SUZUKI    

私34歳。これを最後に、松島高校へ転任。