第9部 平成七年 秋田県大会 秋田県立花輪高校 

      
『 セピアではなく 』  高木豊平/作 

 

<あらすじ> 

 のどかな廃品回収の声で幕が上がる。サスの中に祖母の古い本を整理している女子高校
生が浮かぶ。本の間に一枚の古い写真が入っているのを見つけ、祖母に知らせる。「それ、
ずっと探していだんだよ。ああよかった。大切な写真なの。不思議だねえ。昨夜、その人の夢
を見たんだよ。あれから五十年。セピア色になっているって。ああ、それはセピアではなくして、
とっておかなくてはいけないんだよ、・・・」という祖母の声が流れてくる。

 舞台が明るくなると、そこは戦争中のある村の境内。夜。半鐘の音が鳴り響き、村の人々
が集まってくる。なにごとが起こったのかと不安になっている村の婦人たち。そこへ、兵隊帰
りの高橋もやってくる。そして、花岡鉱山の中国人が、暴動を起こして逃げたらしいということ
がわかる。逃げた中国人がこの村にも来るかもしれないので注意するように呼ぴかける。そ
の話の中から「中国人が大勢花岡に連れてこられ、鉱山や川の仕事をしているが、さっぱり
働かないらしい」とか、「高橋は中国での戦争で腕を撃だれたために左腕が不自由になった」
ということが分かってくる。

 舞台は同じ境内の昼の場面になる。小学生の明子が歌を歌いながら登場し、芋を食ぺ始
める。それを岩蔭から見ていた中国の少年が出てくる。空腹らしい。懸命に中国語で明子に
訴える。それとなく察した明子が芋を差し出すとかぶりつく。少年が岩蔭に隠れ、明子の母が
登場する。二人の話しから、明子は知的障害があることや、二人は東京から疎開してきたこ
とがわかる。そこヘ、大日本婦人会というタスキをかけた村人が登場し、婦人会に入るよう強
要するが母は入ることを渋る。怒った村人は、みんなにとけこめない明子を甘やかしているか
らだと貴め、国に奉仕をしない人は非国民だと罵る。

 夜、明子が芋と水を持って境内にやってくる。少年が現われ、芋を食べる。少年は自分の
母の写真を出して見せる。言葉は通じないものの、一人はお互いに歌を歌い交流する。

 数日後、女学生の由紀が境内で本を読んでいるところヘ、由紀の友人三人が尋ねてくる。
そして、花岡の事件についてそれぞれの考えを述ぺ、帰っていく。それを陰で聞いていた傘
直しの朝鮮人「たか」が登場して、由紀に花岡での中国人に対するひどい扱いを話して聞か
せる。

 そこへ明子が登場し、少年を探す。少年が現われ芋を食ぺているところへ村の女が登場し、
驚いてみんなを呼ぴにいく。少年逃げるが、やがて村人に捕まり境内に連れてこられる。村
人たちは、芋をくれた明子を貴め少年を痛めつける。みんなに連れていかれる時、少年は写
真を取り出し明子に渡そうとする。切り株に残された写真を手にする女学生の由紀。

 

 

 講評メモから
      ★立場の違いがよく出ていてわかる
      
女の子の役割大きい。歌もいい。中国語もいい。
      わかってやっている。
      照明や効果音、おさえていてgood
       うまさを感じない、いい舞台

※「立場の違いがよく出ていてわかる」

 
第二次世界大戦末期に秋田県で起きた花岡事件について、戦後五十年といわれる今、秋田県
の高校が取り上げたことに、私はものすごい力を感しました。現代の高校生にとっては、生まれる
ずっと以前に起こった話なわけですが、それを今の時代にまで引っ張ってきて舞台にのせるという、
その意気込みみたいなものを舞台から感じたのです。

 大勢の中国人がなぜ花岡に連れてこられたのか、集団脱走事件はなぜ起こったのか。その結
末はどうなったのか。そのようなことに対する詳しいことは、劇中では説明されていません。しかし、
集団脱走ということについて、登場人物それぞれめ対応の違いを明確にすることで、戦争というも
のについての考え方の違いが舞台によく出ていました。そして「あなたならどうしますか。」と言わ
んばかりに、観客に突きつけられたような迫力を感したのです。

 当時の大多数の人は、戦争という渦にまきこまれながら「勝つためには、勝つまでは」と狂信的
に戦争を支える立場になっていました。劇の中では、中国の戦争で腕を撃たれた高橋をはじめ、
村の婦人たちがその役割を演じていました。普通のおしゃべりをしているなんでもないおぱさんた
ちが、戦争のことになると目の色を変えて非国民よばわりをする恐ろしさがよく出ていました。

 また、戦争一色の中で、知的障害を持つ明子とその母は人間らしく生きようとして村の婦人たち
と衝突してしまいます。東京から疎開をしてきたため、村の人とうまくなじめないというだけではなく、
戦争という緊急事態のなかでも人間性は守られるぺきだという主張が感じられるのです。

 そして、その様子を客観的にみている傘直しの朝鮮人タカがいます。朝鮮人ということでさげすま
れながらもしたたかに生きるタカの目には、その当時の日本の行っていることがどのようなことかよ
く見えているのです。

 この立場の違いが本当によく出ている舞台になっていました。女学生たちの明るく屈託のない間
係の中にまで、考え方の違いが出ていました。考え方が異なれぱ、対立がおき葛藤が起こります。
そこへ、脱走してきた中国人の少年が登場します。その少年をどう見るか、どう対応するか。そのこ
とによって置かれた立場の違いがさらによりはっきり観客に示されるわけです。

 なにかを見るとき、あるいは、何かを表現したいと思うとき、対立する立場のものを考えて比較した
ほうがよりはっきりするということを聞いたことがありますが、今回の劇は三者三様(見方によっては
五者五様)の違いがきっちりと描き分けられていてよかったと思いました。


※「女の子の役割大きい。歌もいい中国語もいい」

 今回の劇で私が一番よかったと思ったことは、明子の扱いでした。もし、明子が登場しなかったとし
たら、立場や考えの違いを理屈で説明することになってしまったと思うのです。明子は、中国人の少
年に芋を分けてやります。当時の状況からすると、子供だから、しかも知的障害を持った子供だから
できたことかもしれません。逆にいえぱ、そのような明子だからこそ人間的な行動ができたとも考え
られます。また、明子はみんなにうまく溶け込めず、学校を抜け出してきて村の婦人たちに責められ
ます。このように、明子がいろいろな考えの異なる立場の人との関係を持つことによって、その違いが
どんどん浮き彫りになっていくのです。

 作者は、この少女になぜ「明子」という名削をつけたのか分かりません。だだ単に「明るい子供」と
いう意味でないことは舞台を見るとすぐ感じます。私には、こじつけかもしれませんが「登場人物それ
ぞれの考えや立場を、観客に明らかにしてくれる子供」と見えました。 明子がいるから、このような
子供でも大事にしてくれる世の中であってほしいと母は願い、他の子供たちのように勤労奉仕に参
加しない明子を庇う母と村の婦人たちがぶつかる。このように、明子の存在によって、色の違いがは
っきり出てくる作りになっていたと思います。 また、「歌もいい、中国語もいい」とメモしました。少年
は中国語で話します。明子にはもちろん、観客もその意味は理解できません。けれども分かるのです。
観客は、言葉で理解する部分もあるけれども、状況で分かることもあるのです。少年の話す中国語を
聞いていると、片言の目本語で話した場合よりずっと真実味を感じました。

 二人の気持ちが通じるようになると、少年はたどたどしい日本語で歌を歌います。目分が知っている
日本の歌を歌うことによって、感謝の気持ちを表そうと思ったのでしょうか。あるいは、もっと仲良くなり
たいという気持ちからなのでしょうか。それに対して、明子も「カラス、なぜなくの」と童謡を歌います。そ
して、お互いに知っている歌を交互に歌います。それまでの緊迫した空気を和らげ、ホッとした気持ちの
中にも、この少年はこの先どうなるのだろうという不安なものを感じさせる作りになっていました。緊迫し
た場面の連続では、見ていて疲れることがあります。この劇のように、緩急をうまく配置していると、六
十分簡ズ‐ッと引き込まれながらも後々まで印象に残る場面になると思います。


※「わかってやっている」

 大会が終り会場を後にするとき、顧間の高木先生にお会いしたので「生徒さんたちはわかってやっ
ていましたね」と話した。すると高木先生は「わかりますか?」という言葉の後に、「生徒たちは、花
岡事件や戦争のこと、そして、その当時の人々の▲生活や考え方について、図書館に行って随分
調べていたようです」と話していました。

 この劇を上演しようとする演劇部員にとっては、戦争やその経緯、その当時の生活全体について
は全くの未経験のことです。しかし、わかっだふりをして演じると、なんらかの形でそれが舞台にでて
くるものです。日常のなにげない会話と違って、戦時中に話される「奉仕をしない人は非国民だ」とい
うような言葉は、ある意識がないと真実味が感じられないものになるのです。自分で、心情まで含め
た意味で納得していないと、本物にならないと思います。そうかといって、このようなことは体験(ある
いは、疑似体験)できることではないので、調ぺたり、話を聞いたり、みんなで意見交換したりする時
間を多くとって、納得するまでつっこむことが大切だと思います。

 このように、演劇を通して何かを表現しようとする時、今まで体験していなかったことやよくわからな
かったことについて、納得できるまでつっこむことによって、自分の世界を大きく広げることができると
思います。老人問題についての劇を上演することになっ0たある学校では、演劇部貰が実際に老人ホ
‐ムに行って数日間実習してきたというような話を随分耳にします。取り組み方によっては、一本の劇
を上演することによっていろいろなことを休験することができ、上辺だけのわかったふりの演技ではな
い、より真実味の感じる舞台にすることできると思うのです。

 私が、約三十年演劇部の顧問を続けてこられた理由のひとつに、「演劇部の生徒がどんどん大きく
成長していく姿を直接感じることができるから」ということがありました。劇を一本共同作業で作ること
によって、一人ひとりの部員が変わるのです。体験し考えることによって自分なりの理論を述べるよう
になったり、身体を動かしてものを作ることをいとわなくなったり、自己主張しながらも協調する兼ね合
いを覚えてきたりということを積み重ねることによって、大きく脱皮していく様子を感じるのです。頭でわ
かるよりも心で感じた時、人は大きく変花するものらしいです。 このような話をしていたとき、あるひと
から「わかったふりをしてやっている場合と、わかってやっている時の違いは、舞台を見てどうしてわか
るのですか」と質問されたことがあります。「なぜわかるか」と言われても答えられませんでした。説明
できないのです。うまいとかへタというのでもないし、ぎこちなさの有無でもない。心の内側からにじみ
出てくる味とか雰囲気のようなものを感じるかどうかの違いなのです。その時の思いつきで、次のよう
な話しをしました。

 「椅子にすわる」という演技をする場合、椅子のどちら側から座ってどのようなポーズをとるかというこ
とよりも、心理状態を含めた状況設定を考えて演じることが大切だと思います。言い方を変えれば、「座
り方」ではなく「座る理由」を持っていると、舞台に登場する前からそれなりの演技が始まっていることに
なり、人としての存在感が表現されることになるのではないでしょうか、と。

 わかってもらえたかどうかわかりませんでしたが、それらしくうまく演じようとするのではなく、その場面
の状況を心の中に作ってその時の心理状況を自分なりに持つことで、「生きた姿」としてひとりの人物が
表現されると思うのですが、どうでしょうか。


※「照明や効果音、おさえていてgood」

今回の「セピアではなく」の舞台を見終わったとき、ユ舞台装置に不満を感じました。全体的には神社の
境内という感じはしたのですが、上手の祠のようなものがいまひとつピンとこないし、その陰に少年が隠
れるのですが、すぐ見つかるのではないかという気がしたのです。また下手奥に通ずる道のそぱにある
碑も、見た目にはいいけれども、人が通るにはなんとなく邪魔に感じました。遠見の山も、どことなく映え
ないのです。

 照明は、幕開きの古本整理の場面ではサスを使っていましたが、その後は特に際立った印象がないま
ま幕が降りてしまいました。思い出してみると、夜の場面や昼の場面、女学生が登場する場面ではそれ
なりに舞台の雰囲気が変化していたと思いますが、特に印象が残りませんでした。

 音響については、半鐘のジャンジャンという音が耳に残っているだけで、場面転換のつなぎの音楽もな
かったように思います。このように、装置・照明・音響それぞれをとりあげてみると、印象に残るようなこと
がないのですが、だからこそ「人間がよく見えた」のかもしれません。装置が大きくて立派であれぱある
ほど、人間が小さく感じます。照明や音響効果の印象が強けれぱ強いほど、登場人物の印象が薄くな
ってしまうことが多いのです。

 劇を見終わったとき、装置や照明が印象に残るのでは本末転倒と言わざるをえません。なにも印象に
残らないよりはいいのかもしれませんが、やはり人間を見てほしいために、人間が行う様々な行動を見
てほしいために劇を演ずるのだから、最後の印象として「人間」が残るように作ってほしいと思っていま
す。

 音響効果の場合も、劇を見終わった後感想を聞かれたとき「あの場面で入った、あの音楽がとてもよか
ったよ」といわれるよりも、「えっ、あの場面でなにか音楽はいっていだ?」言われるほう良いと私は思い
ます。音の自己主張が強いと観客の心がそれに傾いてしまい、かんじんの人間が見えなくなってしまい
ます。音は、その場面での登場人物を後ろからソッと支えて、その場の雰囲気を高めるような効果を出
すから「音響効果」というのだと思います。

 今回の舞台は、装置・照明・音響などひとつひとつみると、もうすこしなんとかしてほしかったと感じる
のですが、全体として考えると「自己主張していない分、人間がよく見えた」と言えると思います。いいか
たを変えると「バランスが良かった」ということになるでしょうか。大仏さんの前に立つとどんな人も小さく
感じます。いま見てほしいものをしっかり見せるためには、周りのものをどの程度にするかというバランス
感覚、つまり演出が大事になってきます。そういう意味で「照明や効果音、おさえていてgood」とメモし
ました。
                                        


※「うまさを感じない、いい舞台」

 キャストにとって「うまい」ということはいいことなのでしょうか。また「うまい」とはどのようなことで
しょうか。どういうとき「うまい」というのでしょうか。オ‐バ‐なアクションをしたり、ポーズをきめたりす
ることは「うまい」といいません。それを「うまい」と錯覚してしまうことがよくありますが、それは「う
まい」という言葉の中に技術的なものを感じるからではないでしょうか。よく「うまくやろうとするな」
ということを耳にしますが、これも同しことですね。「うまくやろう」という気持ちのどこかに「よく見せ
よう」ということとつながる部分を感じるのです。

 また、「うまい」という表現を使う場合、どちらかというと全体よりも個人に対して使うことが多いと
思います。そのとき、心のどこかで無意識のうちにほかのキャストと比較しているのかもしれませ
ん。仮にそうであるとすると、キャストのバランスが悪いということになります。ひとりだけ目立つよ
うな劇では、心情がうまく伝わらない場合が多いのです。

 そのようなことから、私は「うまい」という言葉より、あいまいな表現ですが、「いい」という言葉を
使います。舞台から、その時の心情(情念、おもい)が伝わってくるとき、「なにがいいのか」「どの
ようにいいのか」をすべてひっくるめて「いい」と表現します。

 今回の舞台は、ひとひとりのキャストはうまいわけではないのですが、人物のアンサンブルがよ
く、各場面での心情がよく伝わってくる「いい舞台」だっだと思います。素直に、しっかり演じること
によって、脚本の持つ力が舞台によく表れていたと感しました。「すごい」「うまい」というのはない
けれども、「わかる」「感じる」舞台になっていたと思います。


 私の感想 

 〈私の感想〉「戦争を過去のものとして忘れてはいけない」という作者の気持ちが、この劇を上演する
生徒たちにきちんと伝わっているなということが舞台から感じられました。しかも秋田県の花岡鉱山で
実際にあったことを掘り起こし、それをしっかり見て真正面から取り組んで書かれた脚本に、ある種の
力を感じました。

 いつ、どこで、だれが、どのような理由によって起こした戦争なのか、よくわからないままその渦にま
きこまれ、「御国のために」という言葉で同じ考えになってしまう恐ろしさ。なぜ、どのような理由で中国
人が秋田へ連れてこられ、どのような作業をさせられていたのか考えようともせずに、敵として人殺しと
して見てしまう恐ろしさ。そのようなことが、「ヘ…え、昔そんなことがあったんだ」では済まされないこと
として目の前に突きつけられた気持ちになりました。

 そんななかで、救いになったのは明子の存在でした。観客は明子の目線で舞台を見ることによって、
中国の少年の気持ちを感じ、村の女たちの言葉を受け止め、母親の暖かさを知ることができたと思いま
す。

 しかし、今回の舞台を見ながら少し残念に感じたこともありました。劇の最初と最後に語られる「セピ
ア色にしてぱならない」というセリフは、登場人物のだれだったのかピンとこないのです。幕切れで写真
を手にしていた由紀だろうとは想像できるのですが、由紀を含む三人の女学生の核心部分とのかかわ
りが薄いためもうひとつつながらない感じがしました。ただ、「セピア色にしてはならない」というメッセー
ジはよく伝わってきました。

 歌あり踊りありの、明るい楽しい劇もいいけれど、ものごとをじっくりと見据え、きちんと表現することの
大切さを教わったように感じました。ありがとうございました。

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